地球の風景 ~癒されるワ・タ・シ~

                  蓮と申します。 地球の美しい風景、自然、小さな癒しを見つけるのが好きなワタシです。

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人間の意識地図

EPSN0021.jpg 【藤の花 花言葉:歓迎】

哲学者デビット・R・ホーキンスは「人間は意識に順序があり暗黒のような闇の人格をたどり、
やがて光ような人格に進化していく魂の旅人なのです」 と説いています。
人間がどのように意識を変化させていくのか、下記の 『人間の意識地図』 を
数値で表し分かりやすく説明しました。

<意識>   <数値>   <感情>

 恥        20      屈辱
 罪悪感     30      責める
 無感動     50      絶望
 悲惨      75      後悔
 恐怖      100     不安
 欲望      125     切望
 怒り       150     憎しみ
 プライド     175     軽蔑
 勇気      200     肯定  ← 人生のターニングポイント
 中立      250     信頼
 意欲      310     楽観
 受容      350     許し
 論理      400     理解
 愛        500     敬意
 喜び      540     落ち着き
 平和      600     至福感
 悟り      1000    言語に絶する






エネルギーレベル(意識レベル) 【20】 恥
[神の視点]   嫌悪
[人生の視点]   悲惨
[感情]   屈辱
[プロセス]   排除

「恥」のレベルは、死に最も近いものです。なぜなら、恥があるからこそ意識的に自殺がえらばれるか、あるいはもっと微妙なことではありますが、人生を維持していこうとする手段を選択しないからです。
 
このレベルでは、避けられたはずの事故死がよくあります。私たちは皆「面目を失うこと」、つまり信用をなくすことや、「失脚」の苦しみについて、何らかの形で知っています。
 
恥をかくと、人の目につかないようにと祈りながら、頭をたれてそっと遠くへ去るでしょう。歴史的に見ても「追放」は、恥に付随しているものです。原始社会において追放は、死ぬことと同じだったのです。
 
性的虐待によって人生の早い時期から「恥」の意識が植え付けられると、心理的セラピーによって解決されない限り、生涯にわたって性格は歪んだままです。 -中略-
 
また、「恥」に基づいている人は、完全主義者で偏狭な性質を持っているので、カッとなりやすく、また我慢することができません。 -中略-
 
「恥」は性格全体のレベルを引き下げることから、恥だけではなく、ほかのネガティブな感情によって傷つけられやすい結果を招くので、愚かな自負心や怒り、罪の意識をしばしば起こさせます。




エネルギーレベル(意識レベル) 【30】 罪悪感
[神の視点]   復讐心
[人生の視点]   悪
[感情]   避難
[プロセス]   破壊

 私たちの社会で、人を操ったりするためによく使われるのが、「罪悪感」です。それはさまざまな表現をもって現れます。自責の念、自己避難、マゾヒズム、それから犠牲心など、これら兆候のすべてに罪悪感は行き渡っています。
 
 無意識の罪悪感には、心身症や事故、さらには自殺行為を招いたりします。多くの人々が生涯にわたって罪と闘いながら生きるのですが、それ以外の人々は、罪を道徳的にも不道徳的にもとらずに、罪を全面的に否定しながら、絶望的にそれから逃げようとします。
 
 罪悪感にとらわれてしまうと、結果とて「罪」の意識に支配されてしまいます。それはだれに対しても「許さない」という態度を引き起こします。またこの感情は、宗教煽動者によって強制や支配に利用されることがあります。彼らは得てして自らの罪悪感を演じるか、あるいはそれを他人に投影するなどのかけ引きをするのです。まるで刑罰ばかりに取りつかれたようにふるまいます。
 
 マゾヒスティックな行動に走るサブカルチャー(低位文化)が、おおやけの儀式のいけにえとして動物を殺すなど、残酷な側面を表すことがあります。罪悪感は激怒を引き起こし、そして「殺し」は、その表現をよく表しています。死刑制度は、罪の意識に支配されている大衆を満足させることはよいとする例です。
 
 許すことを知らないアメリカ社会は、例えば、新聞で罪を犯した者をあざ笑いながら、見せしめの罰を抑止したり、矯正教育処分をまったく示すことなく、懲罰を割り当ててしまいます。





エネルギーレベル(意識レベル) 【50】 無感動
[神の視点]   非難
[人生の視点]   絶望
[感情]   絶望感
[プロセス]   放棄

 このレベルは貧困、絶望、希望を失うといったことが特徴として挙げられます。世界や未来は灰色に見えるでしょう。哀れさを誘う気持ちが人生の中心となります。
 
 無感動は希望を失った状態です。その犠牲者は物質的にだけでなく、あらゆることに貧困状態で、生きるエネルギーにも欠けてしまいます。その結果、外部の援助者からのエネルギーが供給されないかぎり、最悪の場合は自殺による死を招くこともあります。

 生きる意志がなければ刺激に対して反応もなく、彼らの目はものを追うことをやめて、提供された食物を飲み込む十分なエネルギーさえ残らずに、絶望があっけらかんとその人を見つめるだけです。

 これはホームレスなど、社会から見捨てられた人のレベルです。また多くの高齢者や、慢性あるいは進行性の病気によって隔離された多くの人々の運命でもあります。無感動は依存的で、周囲からは重荷として感じられてしまいます。
 
 社会は、このレベルの文化に対して、また個人に対しても、何らかの支援をしようという思いがあまりにも欠けています。なぜなら、彼らを「社会のクズ」と考えてしまうからです。これはカルカッタのスラム街のレベルです。あえてそこで救済できるのは、マザー・テレサと彼女の追随者のような道を歩む勇気ある聖徒だけです。無感動は希望を放棄したレベルです。そして、それと実際に直面する勇気があるのは、わずかな者に限られています。



エネルギーレベル(意識レベル) 【75】 深い悲しみ
[神の視点]   軽蔑
[人生の視点]   悲劇
[感情]   後悔
[プロセス]   落胆

 このレベルは悲しさ、損失、依存に関係しています。人はだれでも一時期このレベルを経験しますが、このレベルに固定されてしまうと、ひとは絶えず続く後悔の中でうつ病のような生活を送ってしまいます。これは、過去に関する悲しみや死別、後悔のレベルです。

 何かにつけて常に負けることを経験する人や、負けることが当たり前になっている慢性のギャンブラーのレベルでもあります。時として、仕事や友人、家族、チャンスといったものを失ったり、お金と健康も同じように失うことがあります。

 人生の早い時期に大きな悲しみを経験すると、成長するにつれて「人生とは悲しみだ」という境地にとらわれるようになります。子供を見ても、人生そのものを見渡しても(いや、何をみても)、悲しみに支配されるので、人生が「悲しみ」に色づけられてしまうのです。

 「深い悲しみシンドローム」になると、それ一色に覆われてしまうので、たとえば愛する人を失うことが、愛そのものの損失と同一視されます。このレベルでは、そのような感情的な損失が、深刻なうつ病や、死の引き金となるかもしれません。
 
 深い悲しみは「人生の墓場」では、ありますが、無感動よりはまだエネルギーがあります。したがって、トラウマの影響によって無感動の状態に陥っている患者さんが急に泣き始めると、それは彼らが回復に向かっているサインです。いったん泣き始めると、彼らは再び食事ができるようになるからです。




エネルギーレベル(意識レベル) 【100】 恐怖
[神の視点]   刑罰
[人生の視点]   怯える
[感情]   心配
[プロセス]   引っ込み

 【100】のレベルになると、エネルギーが出てきます。危険に対して恐怖を抱くことは、健全だということです。

 世界のほとんどは恐怖に支配されているのですが、それが人間のやむことのない行動の源泉となっています。敵に対する恐怖、老いたることや死に対する恐怖、拒否されることへの恐怖など、数多くの社会的恐怖が、ほとんどの人々の生活における基本的な動機づけとなっています。

 このレベルから見ると、世間は罠と脅威の危険でいっぱいに見えます。「恐怖」は全体主義国家が市民をコントロールするため、好んで用いる制度です。そして「不安」は、おもに経済を巧みに操る手持品です。メディアと広告は、市場占有率を増加させるために「恐怖」を用いることがよくあります。

 「恐怖」がもつ増殖的な性質は、人間の「想像力」と同様に、限界がありません。人間がいったん「恐怖」に取り付かれると、世の中の限りない事象が恐怖の餌食となります。
 
 それはさまざまな形で現れます。たとえば、関係を失うことの怯えは嫉妬となり、慢性的な高いストレスを引き起こします。恐怖の思いは、パラノイアとなって膨らむか、あるいは防衛的な神経症の構造を作り出します。また、それは伝染性のあるものなので、社会全体に蔓延することにもなりえるのです。
 
 恐怖は個性の成長を制限し、また個性に根づいてしまうことにもなります。「恐怖」より上のフィールドに上昇するためにはエネルギーを要するので、抑圧されている人は、助けなくしてより高いレベルに達することができません。したがって、恐怖に取りつかれている人は、そこから解放されたいがために、自分の恐怖を征服したかのように見える強いリーダーを求める傾向にあります。




エネルギーレベル(意識レベル) 【125】 欲望
[神の視点]   否定
[人生の視点]   失望
[感情]   切望
[プロセス]   奴隷状態

 さらにもっと多くのエネルギーが、このレベルで出てきます。「欲望」は、経済も含めて人間の活動の広い領域を動機づけます。広告業者は、私たちの「欲望」をニーズに結びつけるようプログラムしながら、衝動的にもてあそぶのです。

 「欲望は」は、目標を達成するか、その見返りに努力をするようにと、私たちを動かします。お金や名声、パワーを得ることに関わる欲望が、恐怖のレベルから抜け出した多くの人々の優先的な人生の動機となります。

 また欲望も嗜癖のレベルになると、渇望が人生そのものよりも重要になってしまうこともあります。実際に欲望の犠牲者は、自分の動機の基盤が何であるか気づいていないかもしれません。
 
 どうしても注意を引かなければいられない人たちもいて、彼らのきりのない要求に周りの人々は離れていきます。性的に認められることへの切望は、化粧品やファッション産業全体を生み出しました。

 欲望は蓄積することや「強欲」にも関係しています。しかし「欲望」は、たえず何か目的に向かうエネルギーフィールドなので、飽きることを知りません。したがってひとつ満足を得ても、他の何かへの満たされていない渇望に取り替えられてしまいます。例えば億万長者は、さらに莫大なお金を手に入れることに取りつかれたままの傾向があります。

 明らかに、欲望は無感動や深い悲しみよりも、エネルギーの高い状態にあります。それは「得る」ためには、まず「欲しい」というエネルギーがなければいけないからです。テレビは抑圧さている多くの人々に必需品を教え込んで、生活の向上を求めさせることで活気を与えます。「無感動」よりはある程度人を動かせるので、大きな影響力があるのです。欲することは、それ以下のレベルよりも達成への道に私たちをスタートしやすくさてくれます。したがって、「欲望」は意識のもっと高いレベルへの飛込台となるのです。




エネルギーレベル(意識レベル) 【150】 怒り
[神の視点]   執念
[人生の視点]   敵対
[感情]   憎しみ
[プロセス]   攻撃

 「怒り」は、殺人や戦争に通じるのかも知れませんが、エネルギーレベルとしては、「死」からはるかに遠いものです。怒りは創造と破壊のどちらにも通じることができます。

 「無感動」と「深い悲しみ」から抜け出て「恐怖」を乗り越えると、「欲望」という意識が出てきます。「欲望」はフラストレーションに通じていて、順序としては「怒り」に通じます。したがって、怒りは圧迫から自由へと猛烈な勢いで向かうテコとなるかもしれません。社会的な不公平感や、処罰、不平などに対する怒りは、社会構造に変化をもたらす大きな社会運動を生んできました。
 
 しかし「怒りは」恨みや復讐心を表すので、爆発しやすく危険でもあります。怒りが習慣となっている場合には、わずかなことにも敏感になり、「不公平なこと」を探し集めたり、喧嘩早かったり、もめごとや訴訟好きな人たちです。

 怒りは欲求不満から生じるので、「怒り」以下のエネルギーフィールドに基づいてしまいます。フラストレーションは、欲望の重要性を誇張する結果です。腹を立てている人は,まるで子供のような欲求不満状態から激怒に移ることもあります。怒りは簡単に憎しみへと通じて、憎しみは人生のすべての領域に破壊的な影響を及ぼします。




エネルギーレベル(意識レベル) 【170】 プライド
[神の視点]   無関心
[人生の視点]   要求
[感情]   嘲笑
[プロセス]   得意

 プライドは【170】で測定されますが、実際にアメリカ海兵隊の精神的基盤になるほどのエネルギーを持っています。

 プライドは現代人の大方が求めているレベルです。下方のエネルギーフィールドに比べると、このレベルに達するにつれて、人間はポジティブになります。自尊心が涌いてくると、意識の低いレベルで経験したすべての苦痛は和らぎます。プライド意識は自らの格好の良さを知っているので、人生というステージでそれを見せびらかそうとします。

 プライドは「恥」や「罪」や「恐怖」といったレベルから十分に上昇しているので、例えば、スラム街に満ちている「絶望」から海兵隊のもつ「プライド」のレベルまで上がるには、莫大なジャンプ力が必要です。

 一般にプライドはプラスに評価されていて、社会的にも奨励されるのですが、意識レベルのチャートから見ると、【200】という臨界点のレベルより下に留まっているため、まだネガティブな状態といえるでしょう。これはプライドが、優越感に浸れるに過ぎないものだからです。

 問題は、みなさんよくご存知のことわざで言うところの、「天狗の鼻」ということです。プライドは、外部の状況によって生きているので、受身的であり、傷つきやすいものです。外部の条件次第では、突然低いレベルに戻ります。ふくれあがったエゴは、攻撃に弱いのです。これは、「プライド」を失うことへの恐怖心から「恥」に逆戻りさせられることもあるので、弱いレベルにとどまっています。

 プライドは、他社と自分を区別するので派閥争いを招き、結果的に高い代償を払う事にもなります。人はプライドのために死ぬこともありますし、軍隊は「愛国心」と呼ばれるプライドのために、いまだに互いを殺しあうことが定期的に行われています。中東と欧米間のおぞましい歴史的な宗教戦争や、狂信的な政治的テロリズムなど、すべては社会が支払うプライドの代償です。

 プライドのマイナス面は、「傲慢さ」と「否認」です。これらは人間の成長を妨げます。プライドのレベルでは嗜癖からの回復は不可能です。なぜなら感情的な問題や性格の欠陥を認めず否認してしまうからです。

 プライドの全面的な問題のひとつは、否認です。名声と信望をもって、プライドに代わる本当のパワーを得るためには、プライドは相当大きな障害となります。




エネルギーレベル(意識レベル) 【200】 勇気
[神の視点]   許認
[人生の視点]   実行可能
[感情]   肯定
[プロセス]   能力

 【200】レベルにおいて初めて、「フォース」から「パワー」へと展開します。
 
 【200】以下のエネルギーレベルに陥っている被験者をテストすると、すべての反応が弱くなるのが簡単に確かめられます。ところが【200】以上の生命を支えるフィールドでは、皆が強く反応します。

 これは生きることに対して、ポジティブか、それともネガティブな影響を与えるのかを識別できる。臨界点です。

 「勇気」のレベルにおいて、「パワー」が到来します。したがって、さまざまな能力が産まれるレベルであり、探求、達成、忍耐力、決断力のゾーンです。もっと低いレベルでは、世の中は絶望的であったり、悲しいものであったり、恐ろしかったり、もしくはいらだたしく見えます。しかし、勇気のレベルでは、人生は面白く挑戦的でもあり、刺激があるように見えるのです。

 「勇気」は新しいものを試みながら、人生の変化と挑戦に立ち向かう意欲を意味します。能力が与えられるこのレベルでは、人は難問にも対処できるようになり、また人生のチャンスをうまく生かすことができます。

 例えば【200】では、新しい仕事の技術を学ぶエネルギーを得ることができます。成長することや学びは、達成可能な目標となります。恐怖や性格の欠点に直面しても、そんなことにも負けずに成長できる能力があります。不安に対しても【200】以下の段階では無力ですが、ここでは努力をむだにしません。意識が【200】未満である人々を打ち負かす傷害も、このレベルに進化した人たちにとっては、逆に刺激となって働きかけます。

 このレベルにおける人々は、自分たちが得るのと同じくらい多くのエネルギーを世間に返します。低いレベルでは、個人に対しても、集団に対しても、社会に貢献することなく、ただエネルギーを消耗させるだけです。達成すること自体がポジティブなフィードバックや自分のためになり、また自尊心にもつながるので、次第に自分は強くなっていき、生産的な生き方が始まります。

 人類の集合意識レベルは、何世紀にもわたって【190】に留まり続けましたが、この10年間にほんの少しですが【207】というレベルにジャンプしたことは、興味深いことです。


-さて、いかがでしょう【200】以上の「パワー」と【200】未満の「フォース」では明らかに違います。「パワー」は人類に貢献しますが、「フォース」はただエネルギーを消耗するだけです。アセンションは誰でも選択できるのかもしれませんが「フォース」の領域の人々は、そんな選択があることすら知らないのでしょうね。

やっかいなのは【175】プライドのレベルです。このレベルの人々は自分は社会に貢献しているつもりですが、実は「フォース」の領域なのだと言うことを認識していません。彼らにそんなことを告げても、それこそ彼らの高いプライドがじゃまをして、否定するだけでしょう。現状では人類の85%が【200】未満です。このままですと、アセンションを選択する人々は1割ほどになってしまいます。

冒頭にも書きましたが、ご自身の意識レベルの向上に取り組みましょう。「能望」の実践が効率的ですが、そのほかにも、愛にもとづいた行動をするなども良いでしょう。愛は意識レベル【500】で測定されます。ですので、自ずとあなたの意識レベルも向上するでしょう。(愛が測定できると言うと納得できないかもしれませんが、事実、愛は【500】です。)




エネルギーレベル(意識レベル) 【250】 中立
[神の視点]   権限を与える
[人生の視点]   満足
[感情]   信頼
[プロセス]   解放

「中立」と呼ばれるレベルに達すると、低いレベルから解放されるので、エネルギーは非常にポジティブになります。

 【250】未満では、意識はものごとを二つに分けて見る傾向があり、白黒で分けられない複雑で多因性の世界の問題に対しても、どちらかに固執する姿勢をとります。
 
 しかしそのような姿勢を取れば、二極性が生じて反対や分裂を作ってしまいます。武道では堅い姿勢は攻撃されやすい要素となります。曲がらないものは壊れやすいからです。

 傷害や、人のエネルギーを消耗させる対立を超えると、「中立」の状態となります。ここでは柔軟さがあり、批判的にならないので、現実的な評価ができるようになります。「中立」であることは、結果に比較的こだわらないことを意味します。自分の思いどおりにならないことに対する苛立ちは、もはや経験しなくなります。

 「中立」のレベルでは、「さて、この仕事が得られないのなら、また別の仕事でも探そう」と言うことができます。これは、内なる自信の始まりを意味します。自分のパワーが感じられると、人は簡単におじけづいたりしませんし、他人に認めてもらう必要はありません。浮き沈みする人生で、基本的に【250】のレベルの態度をもちながら、自然体でいられます。
 
 「中立」の人たちには、幸福感があります。このレベルでは、この世で生きてる自信が現れます。このレベルの人たちは、対立や競争、罪悪感に関心がないので、周囲の人たちも安心して、良好な関係が築けます。彼らは基本的に感情の乱れがありませんし、批判的な態度や他人をコントロールすることもないので一緒にいると快適です。中立の人たちは、自由を大切にするからこそ、彼らをコントロールすることは難しいのです。




エネルギーレベル(意識レベル) 【310】 意欲
[神の視点]   霊感を与える
[人生の視点]   希望
[感情]   楽天的
[プロセス]   意図

 非常にポジティブなこのエネルギーのレベルは、これからさらに上のレベルへの入口であると考えられます。

 例えば「中立」のレベルでは仕事は適切に行われますが、「意欲」のレベルでは仕事はうまく進み、すべてのプロジェクトが成功するのは当たり前のことになります。
 
 成長はここで急速に早まります。なぜならこのレベルの人々は、周りから求められて進歩するからです。「意欲」とは、人生に対する内面の抵抗に打ち勝って、前向きに生きることを意味します。

 測定が【200】以下の人々は、閉鎖的な傾向がありますが、【310】のレベルになると、素晴らしいひらめきが現れます。
 
 このレベルでは、だれにでも好意を持って接する人間になるので、社会的にも経済的にも成功は自動的についてきます。

 意欲ある人は、失業にも煩わされません。彼らはどんな仕事も引き受けますし、自分から天職を作り出したり、自営業を営んだりすることもあります。彼らはサービス業など決して嫌がりません。彼らはだれに対しても協力的で、社会のよき貢献者となります。また、心の内面の問題にも前向きになるので、人生の学びに対する大きな障害はありません。

 このレベルの人は、自己尊敬の気持ちが高く、社会からの認知や感謝、見返りといったポジティブなフィードバックによって、それはさらに強化されます。「意欲」は他者の求めに共感し、敏感に反応します。意欲ある人々は、社会を築く貢献者です。逆境から立ち直り、経験から学び、自己修正できる傾向があります。プライドを手離したので、彼らは自分の欠点を知り、他者から学ぶ謙虚さも持ち合わせています。「意欲」のレベルでは、人々は優秀な生徒となります。彼らは容易に訓練できて、社会のために多大なパワーを発揮できることを示します。




エネルギーレベル(意識レベル) 【350】 受容
[神の視点]   慈悲深い
[人生の視点]   円満
[感情]   許し
[プロセス]   超越

 意識のこのレベルでは、自らがソース(源)であり、自分自身が人生のクリエータであるという意識と共に大きな変容が起きます。「自分がすべての根源である」という責任を持つのは、このレベルの進化に特有なものであり、生命のエネルギーと調和をもって生きることができる能力が特徴です。

 【200】未満のレベルにおけるすべての人間は無力な傾向があり、自分を哀れな人生の犠牲者とみなします。これは、幸福の源や問題の原因が、「向こうに」あるという信念から起きます。幸せの源は自分の内にあるという気づきから、自分自身のパワーを取り戻す大きなジャンプが、このレベルで完成します。

 さらに進化した段階では、自分を幸福にする能力は「向こう」には何もなく、そして「愛」は人から与えられたり、人から奪ったりするものではなく、自分の内より創造されるものであるということに気づきます。

 このレベルを受身と誤解してはいけません。受身は無関心の徴候ですが、「受容」とは人生をあるがままに受け入れることです。そこには感情的な穏やかさがあり、そして否定を乗り越えると、物事の見方が広がってきます。

 人はこの状態で、歪みも誤解もなく、ものごとを見る事ができます。経験の内容は拡大されるので、「全体像をみる」ことができるのです。「受容は」本格的にバランス、割合、適切さに関係します。

 「受容」のレベルにある個人は、正しいか間違いかを決めることには関心はなく、その問題の解決策を見つけだすことに全力を尽くします。きつい仕事に対して不快に感じたり、うろたえたりしません。長期目標が、短期目標より優先します。自己鍛錬と物事に精通することが際立ってきます。

 「受容」のレベルでは、争いや抵抗によって二極化することはありません。他の人たちも自分と同じような権利があるので、平等さを尊重します。

 また、低いレベルは硬さが特徴ですが、このレベルにおいては社会的な二極化は、問題解決への一段階として生じていると見え始めます。したがって、区別や不寛容さはありません。平等とは、多様性を無視しないという理解があるので、「受容」はむしろ全体を含めます。




エネルギーレベル(意識レベル) 【400】 理性
[神の視点]   賢い
[人生の視点]   意義
[感情]   理解
[プロセス]   抽象

 低いレベルの感情を超越できると、知性と合理性がまっさきに現れてきます。理性は、大きくて複雑な量のデータを扱うことができ、また迅速に正しい決定をすることができます。関係性の複雑さや深さのレベル、微妙な違いを区別し、理解することができます。

 そして、抽象的なコンセプトや象徴的な発想を活用することが、だんだん重要となってきます。これは科学や医学、それからインスピレーションを概念化することや、読解力が一般的に増大するレベルです。

 このレベルでは知識と教育が「財産」として追加されます。理解と情報は達成のメインツールとなり、そこで【400】レベルが証明されます。これはノーベル受賞者や偉大な政治家、最高裁判長といったレベルです。アインシュタインやフロイト、そしてほかにも歴史に残る偉大な思想家の多くがこのレベルで測定されます。

 このレベルの短所は、概念や理論についつい夢中になり、「木を見て森を見ず」の状態になってしまうことです。つまりシンボルそのものや、それが表すこととの違いを明確に識別することにとらわれたり、因果関係の正しい理解を制限させてしまう「客観的な世界と主観的な世界の違い」に混乱させられたりすることです。

 このレベルでは結局、基本的なポイントを逃してしまいます。理性を働かせること自体が、最終目的となりうるのです。「理性」には限界があり、その範囲内で本質や複雑な問題の重要ポイントを見抜く力はありません。

 「理性」だけでは真実を見いだすことはできません。理性は莫大な量の情報と資料に裏付けを生み出しますが、そのデータと実際に起きる結果の矛盾を解決する能力に欠けます。すべての哲学的な論争は、単独では説得力があるように聞こえます。しかし「理性」は、論理的な方法論によって支配されている技術的な世界では高い効果がありますが、逆説的に「理性」そのものが意識のより高いレベルに達することへの最も大きなブロックとなります。このレベルを超越するのは、私たちの社会では難しことです。




エネルギーレベル(意識レベル) 【500】 愛
[神の視点]   愛のある
[人生の視点]   恩恵
[感情]   崇敬
[プロセス]   啓示

 マスメディアで表現される「愛」は、ここでいう「愛」とは違うものです。私たちが「愛」と呼んでいるものは、肉体的な魅力や所有欲、コントロール、嗜癖、エロチシズムなど、目新しさが交わった激しい感情的な状態をいいます。それはとても壊れやすくて、また変わりやすく、満ちては引く潮のようなものです。

 フラストレーションを起こすと、この感情は仮面を外し、それが本来持っていた基本的な怒りや依存関係が明らかになることがよくあります。愛が憎しみに変わることは、一般によく知られています。しかし、それは「愛」ではなく、依存的なセンチメンタリズムを言っているのでしょう。そのような関係性は本当の愛ではなく、プライドによる憎しみから生じているものなのです。

 【500】レベルは、無条件かつ不変で永久的な愛の発展によって特徴づけられます。それは動揺しません。その源泉が外部要因に依存していないからです。

 愛することは心の持ち方です。それは世界に対して許し、養うサポート的なあり方です。「愛」を発するのは、理性からでも頭からでもありません。愛はハートから発します。その動機の純粋さゆえに他の人たちのエネルギーも引き上げるなど、「愛」はかなり大きなパワーを持っています。

 このレベルに達すると、物事の本質を識別する能力が優れてきます。問題の真髄がフォーカスの中心となります。理性を使わずとも、問題の全体を瞬時に認識する能力が生まれます。

 それに加えて、特に時間とプロセスに対してのとらえ方がそれ以下のレベルより大きく拡大します。理性は細部だけを扱いますが、「愛」は全体を扱います。この能力は、よく直感に関係しているとみなされています。その理由は連続して現れる象徴を頭の中で解読するのではなく、直感でとらえるからです。この抽象的だとみなされる現象は、実際にはかなり具体的なものです。それは測定可能なエンドルフィンが、脳内で放たれることを伴うものです。

 「愛」は立場にとらわれないし、区別をしないので、その結果グローバルに広がります。どんなバリアもそこにはもはや存在しないので、「他とひとつとなる」ことが可能です。したがって「愛」は包括的であり、自己に対する意識が徐々に拡大していきます。

 「愛」は生きることのすばらしさに焦点を合わせて、ポジティブさを増大させます。ネガティブなものを攻撃することよりも、かえってそれをリセットすることによって溶かします。

 このレベルは、本当の幸福のレベルではありますが、世間は「愛」というテーマに、つい夢中になってしまいます。そしてまともな宗教はすべて、【500】以上で測定されていても、世界の人口の0.4%しか、意識の進化のこのレベルに達している人間がいないことは注目すべきことです。




エネルギーレベル(意識レベル) 【540】 喜び
[神の視点]   ひとつに統合
[人生の視点]   完成
[感情]   静隠
[プロセス]   (神)変身

 「愛」がますます無条件となるにつれて、あなたの内側から喜びがわき出ることを経験するでしょう。これは、突然何かの原因で起こるようなもではなく、すべての行動に常に伴い、一瞬一瞬に中に感じられるものです。ちなみに【540】とは、癒しとスピリチュアルな意識に基づいた自助グループのレベルでもあります。

 【540】以上のレベルは、聖者や高度な精神の探求者、ヒーラーなどの領域です。このエネルギーフィールドの特徴は、長引く逆境に直面しながらも、大きな忍耐力で積極的な態度を根強く持つことです。

 この状態の印は「慈愛」です。このレベルに達すると、他の人々にはっきりとした影響を与えます。このレベルに達した人たちは、長時間相手の目をじっと見つめることで、人々を愛と平和の意識に導きます。

 【500】という高いレベルから見る世界は、創造の完全さと絶妙たる美しさで輝いて映ります。すべてが共時性をもって自然に起きます。そして世界とそのすべてが、愛と神性の表現であることがわかります。個々の意志は、神意に溶け込みます。それを人々は「奇跡」と呼びますが、何か自分よりもっと偉大な存在が身近に感じられて、その存在のパワーによって、通常の現実で受け止められる感覚以外のものが感じられる現象が起こります。これらの現象は個人のパワーではなく、エネルギーフィールドのパワーを表しています。
 
 このレベルにおける人間の、他者に対する責任感は、低いレベルで示される責任感とは異なった質ものです。特定の人間のためにではなく、むしろ生命そのもののために意識を使う願望があります。この多くの人々を同時に愛することができる能力は、愛が深まれば深まるほど、自分の「愛する能力」の領域の広さを発見することになります。

 このレベルの特徴として、臨死体験が挙げられます。臨死体験を経験した人は、【540】~【600】のエネルギーとなり、意識が変容することがあります。





エネルギーレベル(意識レベル) 【600】 平和
[神の視点]   存在する全て
[人生の視点]   完全
[感情]   至福
[プロセス]   啓蒙

 このエネルギーフィールドは、「超越」「自己実現」「神意識」と呼ばれる状態に関係しています。非常に希な経験で、1000万人に一人しか到達しません。

 この状態に達すると主観と客観の区別はなくなり、そして知覚は、どんな特定のフォーカスもありません。このレベルに達した人は、至福の状態が連続して起こるため、自らを世界から切り離し、通常の生活をやめてしまうこともしばしばです。

 ある人は、スピリチュアルな指導者となります。人類の改善のために匿名で活躍する人もいます。また、彼らの各々の分野で偉大な天才となり、社会への貢献をする人たちも生まれます。これらの人々には神々しさが満ちており、いずれは公に認められるかもしれませんが、このレベルでは、一般によく知られている宗教を超越し、すべての宗教が由来する純粋な精神性へと変わっていきます。

 【600】とそれ以上のレベルでは、時間と空間がスローモーションのように感じられると、しばしば報告されています。じっと固定しているものは何もなく、すべては生き生きと輝いています。その状態は絶え間なく続き、このうえなくすばらしい進化のダンスが繰り広げられるようになり、そこで感じる物事の有意義さと根源に対する気づきは、圧倒的なものとなります。

 このすさまじい気づきは理屈では説明できないので、心は思考することをやめ、永遠の静寂さが訪れます。つまり観察者は、その光景の中に溶けて、観察されるものと等しくなります。無限のパワーの存在によって、すべてがすべてに連結し、優しさに満ちあふれているのですが、石のようにもしっかりとしています。

 優れた芸術品、音楽や建築は、【600】~【700】の間で測定されます。それらは一時的ではありますが、私たちの意識を高いレベルに運ぶことができて、どこにいてもインスピレーションと永遠を感じさせてくれることが認識されています。




エネルギーレベル(意識レベル) 【700】~【1000】 エンライトメント(悟り)
[神の視点]   Self(大いなる自己)
[人生の視点]   is(存在そのもの)
[感情]   表現不可能
[プロセス]   純粋な意識

 このレベルは、歴史上の偉大な人々のレベルであり、これは、昔から人類を従えてきた「スピリチュアルなパターン」を創造した数知れない人々のレベルでもあります。すべてが「神の意識」につながっていて、時には彼らも神と同一視されます。

 これは強力な霊感のレベルです。これらの存在は、人類のすべてに影響を及ぼすアトラクターのエネルギーフィールドを設定します。このレベルでは、自他が分離せず、むしろ自己の意識と神意識が一体化します。心を超越した大いなる自己(Self)を無限に感じるのです。さらに、自らが模範となって自我を超越することで、他者にも貢献することになります。これは人間の範囲における意識の進化の頂点を示します。

 偉大な教えは、人類のすべての意識レベルを上げます。そのようなヴィジョンをもつことを「恩恵」と呼び、その贈り物として、定義のしようがない、また言語でも表現できない、無限の平和が訪れます。
 
 気づきのこのレベルでは、存在に対する感覚は、すべての時間と個性を超越するものです。「私」という肉体的な区別は、もはや存在しないので、自分のという存在の運命に全く関心を持ちません。肉体とは、コミュニケーションすることが一番の価値であり、それは心が介入する意識の道具にすぎないように思えます。個という小さい自己(self)は、大いなる自己(Self)に融合して戻っていきます。これは二元性がまったく存在しないレベルであり、あるいは完全たるワンネスのレベルです。意識が局部に集中することはなく、意識は至るところに平等に存在します。

 悟りのレベルに達したある人物が、人々に恩恵を与えるすばらしい表現をしました。「ムドラー」と呼ばれる、手を特定の位置で組み合わせる表現で、この悟りのエネルギーフィールドを人類の意識に伝達させることを意味しています。

 「神の恩恵」であるこのレベルは、歴史を通して世界に記録されている最高水準の人間によって達成されました。その意識は【1000】という、人間では、最高のレベルで測定されています。よく知られているアバター(神の化身)として、主クリシュナ、主ブッダ、そして、主イエス・キリストがいます。彼らには「主」と名づけられるのが適切であるように思います。





数値200のところが人生のターニングポイントです。それより上にいくと上昇=アセンション
それより下だと没落=ディセンション(肉体の死後再び三次元へ輪廻転生)を今までは
何度も(多ければ何千回も)繰り返してきました。
いま、私たちが人間としてここに存在しているのは前世で
200以下の意識だったということになります。

どうして 『恥』 の数値が20で一番低いのかというと、人間が恥をかいたときパワーが
最も低い状態で、それに対して 『恐怖』 の数値が100なのは、人間が恐怖を感じると
恐怖から抜け出すためにどうにかして問題を解決しなければならないという意識が働く
からだそうです。

現在地球は高次元からの光のエネルギーを受け、地球自体の波動エネルギーが
徐々に高くなりつつあります。
私達の意識も速やかに200以上へ移動する時代となりました。

もし、この地球の波動の上昇についてこれず200以下の意識のまま過ごせば
この地球で大変生きづらい人生となってしまいます。

地球がアセンション(五次元へ上昇)すれば、意識レベル200以下の人は
地球以外の意識レベルの星へ転生することになります。

私たち人間はみんな同じ魂の旅人です。
光の意識を学ぶために 『地球』 という星へ転生してきたのでしょうね(^^)



  1. 2009/04/26(日) 00:08:00|
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