地球の風景 ~癒されるワ・タ・シ~

                  蓮と申します。 地球の美しい風景、自然、小さな癒しを見つけるのが好きなワタシです。

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なにわ七幸めぐり ③ ~四條畷神社~

「なにわ七幸めぐり」 の由来は歴史的経緯によって分離された

神社と仏閣が再び一つになり 日本が、さらには世界が一つになることを目的としたのが始まりです。



 3回目は 「四條畷神社」 です。

JR学研都市線 四条畷駅から東へ徒歩15分

河内飯盛山の麓で、私の自宅から徒歩10分のところにあります。

地元なので、お宮参りも七五三も こちらの神社でお世話になりました。




今回は 少し重苦しい内容になるのですが・・・

この神社の歴史をさかのぼると、時代は南北朝になります。

河内国の将軍 楠木正行 (くすのきまさつら) 他、が祭られている神社で、

正行は、父・楠木正成 (くすのきまさしげ) の長男として生まれました。

楠木正成は南北朝時代に、足利尊氏勢と戦い、湊川への出陣において

死を覚悟し、桜井において、当時11歳だった正行に

「父の教えを守って正統の後醍醐天皇に仕える様」 訓され、

正行に別れを告げました。

『桜井の別れ』 は日本古事記の中に記されています。

【楠木親子像 桜井の別れ】


その後、南朝の武将となった楠木正行は

四條畷の戦いに際し、奈良吉野の如意輪堂に行き

一族143名の名を留め鏃を用いて板壁に

「帰らじと かねて思えば梓弓 無き数に入る名をぞ留むる」

と、辞世の句を記し 戦いに挑みました。

北朝将軍・高師直(兵力6万人)に対し

南朝将軍・楠木正行(兵力3千人)。

死は覚悟の上での戦いだったことでしょう・・・正行没 24歳という若さでした。




四條畷神社の参道を西へ下った突き当たりに楠木正行の墓所があります。

そこには樹齢600年のクスノキがあり

クスノキは四條畷市のシンボルの木でもあります。

地元住民からは 「小楠公(しょうなんこう)さん」  の名称で親しまれています。




日本の歴史を振り返ってみると、たびたび 戦い(戦争)を繰り返し、

戦国の時代に生まれ、無念にも戦死した魂が 

今でも(霊界で)戦いを繰り返し、彷徨い 浮かばれず

途方に暮れているのではないかと思うと、時々こころが痛みます・・・

私の生まれ育ったこの土地は 南北朝時代の古戦場であったというこで

霊感を感じやすい人にとっては、少しキツイ場所でもあります。。
 
どうか そのような無念の死を遂げられた魂が癒されますように・・・

お祈り申し上げます。



だけれど、ただ忘れてはいけないのは、そんな歴史・時代があったからこそ

いまの日本の「平和」 があります。

人間同士の戦いや戦争がどれだけ恐ろしいことなのか、

語り継がれてきたからこそ、「平和」 の ありがたみを痛いほど感じることができます。

この平和な時代に生まれてきたことに・・・「感謝」 そのことを いつも痛感しています。

今でも、世界を見渡せば 他国では殺したり・殺されたりという争いが止みません。

日本は他の国にはない 唯一の 核被爆国。 

過去に2度も 核爆弾を受けています。

戦争の恐ろしさ・怖さを一番知っている私たちだからこそ、

どこの国よりも 「世界平和」 を願い 祈ることができます。

どうか、この世界から戦争がなくりますように・・・ここでお祈り申し上げます。

今日も貴重な一日をありがとうございました。

  1. 2010/11/20(土) 00:00:00|
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